みなさんは、ご自身が死ぬときのことを、考えていますか?
今朝の文春オンラインの記事に、先日亡くなった知の巨人こと、立花隆さんの言葉が載っていました。
「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」(文春オンライン)『二十歳の君へ』立花隆著(『二十歳の君へ』は2011年のベストセラーです。古い本なので、Amazonや楽天ブックスにも置いていません。
文芸春秋BOOKSに書店の在庫を調べるリンクがありますので、そこから調べたらいいかもしれません。)
この記事は、20歳前後の大学生に向けて、東大のゼミ生に向けて、最終講義で語られた言葉を紹介しています。前半は、20代頃につまづきそうな「人生の間違い」について、先輩からの助言として語られているのですが、私が注目したのは、立花さんの死生観が語られた、後半の部分です。
立花さんは、20代、30代はその時を生きるのに必死で、40代、50代になって、今までの人生を見返す余裕が出来た。そして、60代ではこれからも人生が続いていくような気がしたが、70代では、もう漠然とした死の光景しか見えない、と語っています。まるで80歳でお亡くなりになることを、予言していたかのようなくだりですね。
これにもびっくりですが、腎臓病を患っているお母さまが、透析を拒否している様子も語られています。素人目に見ると、「透析をすれば、もっと命が長らえるのに、もったいないな」と感じてしまうのですね。もちろん、透析をしている方の中には、その治療が合わず、大変苦しい思いをしている方もいるそうなので、一概には言えませんが。お母さまは「機械につながれる」ことを大変、お嫌いになっているようです。
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人の命とはなんでしょう。「機械につながれてまで生きたくない」とみなさんも思われますか?
理解できないことはありません。ただ、医療を一度も受けないで、病院に一度もかかったこともなく、全く健康なまま、年齢を重ねている人は、そう多くはないのではないでしょうか。日本は皆保険制度もあり、医療費が安いですから、余計そうなのですが、医療費がかなり高価なアメリカなどの諸外国でも、また、医療費が払えない貧しい方でも、薬局で手軽に購入できる市販薬ならお世話になったのではないでしょうか。
要は、どこで線を引くか、ですね。例えば、食事が出来なくなったお年寄りに、胃瘻を施すかどうか、また、呼吸困難になった方に、人工呼吸器をつけるかどうか、生死の選択をする場面は、たくさんあります。
うちの祖父は、人工呼吸器を付けなければ自発呼吸はできない、とお医者様に宣言されて、家族会議の結果、そのまま自然死を選ぶことになりました。今でも思いますよ。宣言通り、あっけなく息を引き取ったおじいちゃんは、人工呼吸器をつけていたら、もっと生きられたのではないか。いや、ただ、生きているだけで、人間の尊厳はなかっただろうから、これでよかったのではないか。正解はわかりません。大体、その時が来ても、本人に確認などできないのですから。
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もしかしたら、ご自身が「待ったなし」の状況に陥った時に、どうしてほしいのか。機械のお世話になっても、生きていたいのか。自然死を選ぶのか。意思をはっきり残しておくといいかもしれません。でもね、元気な時にいくら真剣に想像しておいても、やっぱり、「その時」が来たら、迷いますよね。だって、経験したことがないのですから。
立花さんのお母様は、カトリックの信仰をお持ちなので、死を怖がっておられないとのこと。少し、特殊なケースかもしれません。普通は怖いです。なんとしてでも生き延びようとする方が、動物としての本能に則っていると思います。
みなさんはいかがですか?避けられない死を目前にして、毅然としていられるでしょうか?いろいろと考えさせられる記事でした。
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